2022年2月13日日曜日

こころに残った言葉

最近…に限ったことじゃないけれど、すべての人の記憶から消えたいと思う瞬間がある。
そうなると、それはそれで寂しいのかもしれないけれど、自分が死んで誰かの記憶に残ったり悲しませたくないと思うのだ。

ときどき人がわずらわしいと感じて、ひとりで居られたらラクだろうな…とそんな気持ちで『高瀬庄左衛門御留書』を読んだからか、気になるところが何箇所かあった。

ひとりごとをぶつぶつ…。

独居も静穏でよい、と感じたのはたかだか一年ほどまえのことにすぎぬが、この暮らしはこの暮らしでよいように思える。さびしさというものが苦にならぬほうではあるものの、ひとりで過ごす刻がながくなると、内心に渦巻くさまざまな思いに果てなく沈む瞬間が幾度となく訪れるのだった。◯◯や◯◯がいなければ、とうにそうした渦へ呑みこまれていたかもしれぬ。
そして◯◯もまた、おのれをこの世へつなぎとめている一人なのだろう。

たしかに、ひとりでいるといろんなこと考える。グルグルと下へ下へと沈み込んでいく気配に慄き、いっそ自分からどん底まで落ちてしまえば楽かもしれない…と。
そういうとき助けになってくれているのが、そばにいる誰かなんだろうな。

「人などと申すは、しょせん生きているだけで誰かのさまたげとなるもの」
「されど、ときには助けとなることもできましょう……均(なら)して平らなら、それで上等」

自分の存在が誰かの迷惑になっているなら、いっそ…と思う。
でも「生きてる、生かされてるのには何か理由がある。まだあなたには役割があるのだ」という言葉で、かろうじてここに踏みとどまっていられる。

「選んだ以外の生き方があった、とは思わぬことだ」
はい、こころします😔