2014年8月7日木曜日

平和であること

(今日のブログは政治色が強いので、不快に思われる方はスルーしてください)

きのうはひさしぶりの青空だった鹿児島でしたが、原爆の日の広島は大降りだったみたいで参列されてた方々がお気の毒でした。

それにしても、コピペっぷりがハンパない我が国のリーダーサンの”ご挨拶文。
どなたかが、去年とどう違うのかを検証してくださってるのがこちら。
左が去年、右が今年。違う部分だけが青色になっています。

これで、心がこもってるとは思えないわ、わたし。

ちなみに沖縄戦没者慰霊祭。

左が今年、右が去年。
首相のスピーチって、おっつけ仕事なんですかねぇ?

それにひきかえ、広島市長の言葉にはジンときました。
個人のこういうブログに、どこかの記事をコピペしてもいいのかな? 平和宣言文はここから全文が見られるんだけど、今年のはまだアップされてないみたいなので(もしかしたら、長崎のが終わってからなのかな?)、スミマセン貼付けます。ダメなら早めに教えてください。

『被爆69年の夏。灼(や)けつく日差しは「あの日」に記憶の時間(とき)を引き戻します。1945年8月6日。一発の原爆により焦土と化した広島では、幼子(おさなご)からお年寄りまで1日で何万という罪なき市民の命が絶たれ、その年のうちに14万人が亡くなりました。尊い犠牲を忘れず、惨禍を繰り返さないために被爆者の声を聞いてください。

建物疎開作業で被爆し亡くなった少年少女は約6千人。当時12歳の中学生は「今も戦争、原爆の傷跡(きずあと)は私の心と体に残っています。同級生のほとんどが即死。生きたくても生きられなかった同級生を思い、自分だけが生き残った申し訳なさで張り裂けそうになります」と語ります。辛うじて生き延びた被爆者も、今なお深刻な心身の傷に苦しんでいます。

「水を下さい」。瀕死(ひんし)の声が脳裏から消えないという当時15歳の中学生。建物疎開作業で被爆し、顔は焼けただれ、大きく腫れ上がり、眉毛(まゆげ)や睫毛(まつげ)は焼け、制服は熱線でぼろぼろとなった下級生の懇願に「重傷者に水をやると死ぬぞ」と止められ、「耳をふさぐ思いで水を飲ませなかったのです。死ぬと分かっていれば存分に飲ませてあげられたのに」と悔やみ続けています。

あまりにも凄絶(せいぜつ)な体験ゆえに過去を多く語らなかった人々が、年老いた今、少しずつ話し始めています。「本当の戦争の残酷な姿を知ってほしい」と訴える原爆孤児は、廃墟(はいきょ)の街で、橋の下、ビルの焼け跡の隅、防空壕(ごう)などで着の身着のままで暮らし、食べるために盗みと喧嘩(けんか)を繰り返し、教育も受けられずヤクザな人々のもとで辛うじて食いつなぐ日々を過ごした子どもたちの暮らしを語ります。

また、被爆直後、生死の境をさまよい、その後も放射線による健康不安で苦悩した当時6歳の国民学校1年生は「若い人に将来二度と同じ体験をしてほしくない」との思いから訴えます。海外の戦争犠牲者との交流を通じて感じた「若い人たちが世界に友人を作ること」「戦争文化ではなく、平和文化を作っていく努力を怠らないこと」の大切さを。

子どもたちから温かい家族の愛情や未来の夢を奪い、人生を大きく歪(ゆが)めた「絶対悪」をこの世からなくすためには、脅し脅され、殺し殺され、憎しみの連鎖を生み出す武力ではなく、国籍や人種、宗教などの違いを超え、人と人との繫(つな)がりを大切に、未来志向の対話ができる世界を築かなければなりません。

ヒロシマは、世界中の誰もがこのような被爆者の思いを受け止めて、核兵器廃絶と世界平和実現への道を共に歩むことを願っています。

人類の未来を決めるのは皆さん一人一人です。「あの日」の凄惨(せいさん)を極めた地獄や被爆者の人生を、もしも自分や家族の身に起きたらと、皆さん自身のこととして考えてみてください。ヒロシマ・ナガサキの悲劇を三度繰り返さないために、そして、核兵器もない、戦争もない平和な世界を築くために被爆者と共に伝え、考え、行動しましょう。

私たちも力を尽くします。加盟都市が6200を超えた平和首長会議では世界各地に設けるリーダー都市を中心に国連やNGOなどと連携し、被爆の実相とヒロシマの願いを世界に拡(ひろ)げます。そして、現在の核兵器の非人道性に焦点を当て非合法化を求める動きを着実に進め、2020年までの核兵器廃絶を目指し核兵器禁止条約の交渉開始を求める国際世論を拡大します。

今年4月、NPDI(核軍縮・不拡散イニシアチブ)広島外相会合は「広島宣言」で世界の為政者に広島・長崎訪問を呼び掛けました。その声に応(こた)え、オバマ大統領をはじめ核保有国の為政者の皆さんは、早期に被爆地を訪れ、自ら被爆の実相を確かめてください。そうすれば、必ず、核兵器は決して存在してはならない「絶対悪」であると確信できます。その「絶対悪」による非人道的な脅しで国を守ることを止(や)め、信頼と対話による新たな安全保障の仕組みづくりに全力で取り組んでください。

唯一の被爆国である日本政府は、我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増している今こそ、日本国憲法の崇高な平和主義のもとで69年間戦争をしなかった事実を重く受け止める必要があります。そして、今後も名実ともに平和国家の道を歩み続け、各国政府と共に新たな安全保障体制の構築に貢献するとともに、来年のNPT(核不拡散条約)再検討会議に向け、核保有国と非核保有国の橋渡し役としてNPT体制を強化する役割を果たしてください。また、被爆者をはじめ放射線の影響に苦しみ続けている全ての人々に、これまで以上に寄り添い、温かい支援策を充実させるとともに、「黒い雨降雨地域」を拡大するよう求めます。

今日ここに、原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧げるとともに、「絶対悪」である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向け、世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。
2014年8月6日 広島市長 松井一実』


ダメっていわれたらすぐ消すので、重ねてこちらに平和宣言の載ってる号外を掲載しておきますね。どうか…ひとことずつ、ゆっくりと読んでください。

長いおつきあいの方はご存知のように、わたし…生まれは東京ですが結婚前は広島にいたので、8月6日は8時15分のサイレンで黙祷してましたが、鹿児島に来たらそんなことないんですね。知覧の特攻基地などはあったり、鹿児島市内が空襲で焼け野原になったり…と聞きましたが、特攻基地はあるけど鹿児島以外の人の多くもそこから出ていってるわけで、現地の人の直接的は心の傷とは違うように感じてしまうし、焼けたっていったって広島は丸っパゲでそのあとの後遺症もずぅーっとですから…。
そういうところで、どうしてもこちらの人の思いとは、若干のズレを感じてしまうんですよ。

これはほんとぉーに個人的な感じ方なので、反論はいっさい受けつけませんよ。「イヤ…それは違うだろぉ?」って言われることの根本が、違うんだもん。
あ…見えない敵にケンカ売ってる場合じゃなかった(滝汗)。

ここを見ていたけるとわかるんですが、広島市長の平和宣言はこんなに毎年違うんですよ。小手先でちょろっと替えたのを読むために来んでえぇーから! 出たがりのために税金使われる国民の気持ちにもなってみぃ?

さて、心のこもってない原稿棒読みの、我が国の選ばれたリーダーに思いっきり悪態ついたところで、ココまで言っちゃってる人がいるアメリカに驚くわたし。

いるんだ…こういうふうにちゃんと言える人が…。
っていうか、まさにこれだと思うわ。今までも…だけど、今のガザも。
(ロンドンで10万人、5日前には新宿でもデモがあったのに報道しない日本にもあきれる。そのわりに、きょうのNHK World(英語)で韓国(朝鮮?)被爆者に対する保証を長々と特集してて、やっぱりNHKはそっち寄りなのかなぁーと感じましたよ。)

悪について死ぬまで考え続けたハンナ・アーレントの映画を見たあとだからかなぁ。
今、あたり障りのないブログを書くのは、自分が無関心であるというのと同じで、ひいては、悪の一端に加担しているのと同じだと感じて、きょうはこんな記事になりました。言葉足らずなところは、どうか愛情をもって解釈してくださいませ。

暑いさなかに最後まで読んでくださって、ほんとうにありがとうございます。